Enjoy every moment in Namibia

青年海外協力隊として、ナミビアで活動する約1年9か月

独立記念博物館にて、学んだこと

今日は、まったりしてました。

朝、改めてネットの契約に行って、1ヶ月無制限でネットが使える契約に変えてきました。月999ドル(8600円くらい)するので、かなり高額ですが、仕事でもネットは使うので、奮発しました。

任地でもちゃんと使えますように。

 

ということで、今日は特に何もしてないので、今週、独立記念博物館に行って学んだことをざっくりと書きたいと思います。

f:id:fuca-0211:20170724030338j:image

こちらが独立記念博物館。ナミビアの父、サム・ヌヨマさんが正面に立っています。彼は、ナミビアの独立に大変貢献した方で、お札の顔にもなっています。

f:id:fuca-0211:20170724030403j:image

 ナミビアにはサン、ナマ、ヘレロ、ダマラ、オバンボなどの民族が暮らしていましたが、1884年にドイツの植民地になりました。もともと住んでいた人々を住まわせるためのこのようなキャンプが作られて、集めて住まわされたそうです。

f:id:fuca-0211:20170724030446j:image

 言われた通りにしない人は捕まえられたり、殺されたりしました。

f:id:fuca-0211:20170724030755j:image

ドイツの支配に抵抗しようとしたヘレロ人が、大虐殺されることもありました。

第一次世界大戦の時には、ドイツ支配下ナミビアは、独立のために、イギリスを宗主国とした南アフリカと共にドイツと戦いました。大戦でドイツが負け、いよいよ独立、と思ったら、共に戦った南アフリカが今度は支配してきます。

南アフリカは有名なアパルトヘイト体制がしかれ、それがナミビアにも適応されました。

 f:id:fuca-0211:20170724030954j:image

この有名なイス。読めないけど、たぶん黒人は座っちゃダメって書いてある。

f:id:fuca-0211:20170724031113j:image

ホームランドという黒人が住む地域を勝手に決められて、人数の圧倒的に少ない白人よりも狭い土地で暮らしていました。しかも、ダイヤモンドとかがとれたりする、産業になる土地は、全て白人の土地。

 f:id:fuca-0211:20170724031133j:image

 第一次世界大戦後、世界が植民地解放に向かう流れに逆行した状態のナミビア。世界の国々からも支援されて、南アフリカに対する独立戦争を戦います。その際、キューバも協力しました。

f:id:fuca-0211:20170724031240j:image

 やっと独立したのが、1990年。

私の1年先輩です。

 

この博物館を案内してくれた同い年くらいのカレッジの先生。

最近、ナミビア人ならみんな入りたい、かのナミビア大学を卒業した女の子です。

何回か会っているので、思い切って、

今は白人についてどう思っているの?と聞いてみました。

正直、好きにはなれないし、白人の友達もいない、という答えでした。その子は賢いので、高校もトップクラスの高校で、そこはほとんどの生徒が白人だったそう。その中で、黒人だけクラスを分けられたり、卒業のプロムのダンスを分けられたり、人種差別を受けたんだそうです。そんな話が今でもあるんだと、衝撃でした。人種差別の名残がまだまだ全然あるんだなぁと。

学校で、高校生にちらっと聞いてみた時には、過去は過去だよ、関係ない、という答えも返ってきたので、人それぞれではあるのかもしれませんが、白人と黒人が住み分けられているのは感じます。

いろいろ思ったし、もっと地元の人の声が聞きたいなーと思った博物館見学でした。