Enjoy every moment in Namibia

青年海外協力隊として、ナミビアで活動する約1年9か月

難民の方のこれまでに思いを巡らした日

今日はワークショップ2日目。

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オシレの先生方にとっては2018年勤務最終日。

ブンヤだったら9時に学校行って打ち合わせだけ簡単にしてクラスの鍵を返してさようなら!の日。

そんな日に2時間程度でも話を聞いてくださった先生方に本当に感謝です。

今日は、それぞれの任地で隊員がどんなことをしているかということをプレゼンで伝えました。

4人の隊員全員がすでに中間報告を終えているので、そのプレゼンを生かしての発表。

私はプチ模擬授業をまた挟んでプレゼンしました。

理科のプチ授業は、ジェスチャーもカード取りゲームもやってみました。

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少しでも楽しく学ぶっていいなぁと先生方が思ってくれたら幸いです。

 

さて、今日はこの後子どもたちを集めて図工や体育をやる予定。。

が、先生方ももう早く帰りたい。

そうなると子どももまとめられないし、子どもをいれる教室もない。

そもそもこの2日間にまとまった予定ましてやプログラムというものがない。

ということで子どもへの活動が流れてしまいました。

今となってはそこが一番の後悔。

せっかく準備もしてあったんだし、子どもたちと何かできればよかったなぁと思います。

ナミビアでは発案や計画をしてもその計画があってないようなもので実行されないことが日常茶飯事。

それに慣れっこになってしまっている自分がいて、どうせ〜だから、、と思ってしまっていますが、今回は残念だったなぁ。

 

学校近くのサッカー場

子どもたちがサッカーの練習をしています。しかも年代別でコーチ付き!しかもビブスまで!

ブンヤにそんなのないなぁ。

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子どもはどこに行っても変わらないなぁ。

でもナミビアの顔つきじゃないということは感じました。

オシレ難民キャンプには、主にDRC(コンゴ民主共和国)からの難民が多く来ています。なので、そこで使われているスワヒリ語やフランス語を話す人が多いです。他にはアンゴラブルンジタンザニアなどからも難民が来ています。なのでさらにポルトガル語など様々な言語を話す人が集まっています。

そこで話をすることができた男の子。グレード8くらいの学生。

その子もDRCからの難民でした。オシレはどう?と聞くと、退屈ですることがない、と。ホリデーはどこかに行くの?と聞いたら、オチワロンゴに行くにも70ドルかかってそんなお金を手に入れようがないからどこにも行けないよ、と話してくれました。DRCに戻りたいい?と聞くと、帰れない、戦争をしているから。ここまでどうやって来たの?と聞くと、それまで朗らかに答えてくれていた彼も言葉に詰まってしまって、大変だった?と聞くと、すごく大変だったと答えてくれました。

綺麗な英語を話して、親切にいろんなことを教えてくれたこの男の子。とても心に残りました。

 

その後は、子どもたちとの活動がおじゃんになってしまったので、代わりにオシレの様子を見て回ることに。

女性センターというところでは、50人くらいのたくさんの人が、指紋をとって難民IDを作るために並んでいました。

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その横のユースセンターというところで、そこで働くDRCからの難民の方に話を聞くことができました。

その方はDRCで会社で働いていたけれど、会社のボスが反政府側のルワンダ勢力だったそう。彼は反政府側ではないので敵だとみなされてしまった。政府側に助けを求めても、会社のボスがルワンダ側だからお前もルワンダ側だと責められて守ってもらえなかった。そうしているうちに両親や仲間の妻子どもが殺されてしまった。彼は自分の妻と子どもを連れて南アに難民として逃げようと考えた。まずザンビアまで逃げたけれど、DRCとザンビアは隣接しているため、ここにいたら反政府側に見つかるかもしれないと考えた。でも南アにいく方法がわからず、とりあえずお金を払ってどこかさらに遠いところへ連れて行ってと頼んだら、着いたところがナミビアのこのオシレ難民キャンプだったそうです。

彼には3人の子どもがいますが、さらに4人の身寄りのいない難民の子どもを引き取って育てているそうです。

ナミビアの隣接国出身だと難民でも市民権が得やすいそうですが、DRCは隣接国ではないので、未だに市民権はなく、”難民”なんだとおっしゃっていました。

難民の方がどのように今いる場所にたどり着いたのかということを、目の前の人から自らの体験談として聞くというのは、私の中で少しでも難民の方の立場や気持ちを感じることのできる小さな一歩となりました。

その方はアフリカの中でオシレ難民キャンプが最も良いキャンプだと話してみえました。お金を払えば各家庭で電気を使うこともでき、テレビを見たりすることも可能だということが大きな理由でした。

オシレプライマリースクールの先生で、ワークショップにも参加してくださった笑顔の素敵な先生も、DRCからの難民でした。小さい頃に1人でこの難民キャンプに来たそうです。ホリデーはどこかに行くの?と聞くと、ここ難民キャンプで育ったから、どこにも行くところがないよ、ここにいる、と言ってみえました。

 

夜は、オシレ難民キャンプで働く内務省の方と夕飯を共にしました。

その方は、前にDRCの難民が内務省ナミビア人の家を襲ったことから、DRCの人は危険だと話していました。オシレ難民キャンプからカナダやアメリカの難民として移住したいために、わざと内務省の人にすり寄って関係を作り、それを証拠として被害届を出して、カナダやアメリカに行く難民の女性もいるとのことでした。

難民キャンプではお酒は禁止されており、それはトラウマを抱えた難民の方が暴れ出したりするのを防ぐためだそうです。

仕事や職業訓練校がないことも問題だそうです。それでは学校を終えてもできることがありません。これはナミビア全土でも言えることです。

様々な問題が一見平和そうに見えるオシレ難民キャンプにもあるんだなと感じました。

 

オシレ散策。

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静かな街並み。

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お店もけっこうあります。

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ナミビアではまず見かけないチャパティという食べ物を食べられました。むちゃくちゃおいしい。異国の地に来たような気分になります。

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大きなガーデンで野菜も育てられていました。

 

ブンヤよりも物や施設は整っているけれど、やはり難民の方の内面には、生まれ育った国に住めないこと、家族と離れ離れになったこと、もしくは殺されてしまったこと、いまだにその戦争が自分の国で続いていること、自由にどこかに行くことができないこと、仕事がないこと、など、たくさんの困難が当たり前にあるということを感じた1日でした。